認識

今年もお盆の時期になりました。

今年の夏は非常に暑い日から始まり、大雨、コロナの第7波といった感じで過ごしにくい日が続いています。

ホテルの状況も8月はスポーツ大会など元々予約で埋まっておりましたが、第7波の影響で殆ど全てキャンセルとなりました。

実際に身近なところでコロナ陽性者も多く出ている状態です。お盆の帰省や法事なども止めておこうという家族も増えているかと思います。うちの実家もお盆の集まりが無くなりました。

今年もまたコロナという外部要因によって暇になってしまったホテルでブログを書いています。

今日は9月末に登壇する警察署での講演を受けて、警察署の担当の方と打ち合わせをしました。

そもそも警察署の職員の方に講演すること自体、何を話したらよいやら分かりませんが、一般の民間企業に働く人と警察で働く人との違いなどがこれを機会に多少なりとも知ることが出来れば面白いかなと思っています。

その打ち合わせの中で「メタ認知」の話がでてきたので、自分を客観視する時間をどう持つかなどについて話をしていました。一つはこうしたブログを書く事も良いかもとか、業務に日報があるのであればそれを活用するのでも良いとか、ちょっとしたメモ帳レベルの日記でも良いのではと伝えてみました。

とはいえ、自分を客観視する事は思った以上に難しい事です。

例えば、自分がモノゴトをどのように認識しているのかを客観視して、表現することもままなりません。「考える」という事自体も、人によって全くその方法が異なるとは思わないものです。

具体的に、友達や歴史上の人物でも良いのですが「人名」を出した時に、初めにその人名の顔がビジュアルに浮かんで認識する人と、「人名」そのもののテキストデータとそれに紐づくタグ付けデータが浮かんできて認識する人と、それだけでも大きく分かれると思います。

自分の場合は、ビジュアルが先行します。FRINGEのメンバーは情報自体がそのまま浮かぶようです。

また人によっては、視覚だけではなく、聴覚、嗅覚の方が先行する人もいると思います。

つまり、自分自身がどのようにモノゴトを認識しているかも、基本的に他の人がどう理解しているかと比較してみないと見えてこないのです。

ですから、自分を客観視するとは、単に自分を俯瞰的に見るだけでなく、自分以外の他の存在を知るという事が必要となるという事です。家族ですら、同じものを見ていても、どのように考えて、どのように感じているか分かりません。

人と対話をする中で、他人の認識方法を見つけてみて、自分の認識パターンを理解するというのは今後もずっと続けていける一つの楽しい修行な気がしました。

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