「信用」はビジネスにおいても日常生活においても非常に重要なことだと誰もが知っていますが、一つの悪や一人の抜け掛けによって、コミュニティ全体の信用が簡単に揺らいでしまうものでもあります。
例えば、「オレオレ詐欺」や科学的な根拠のない「痩せる薬」の宣伝、「複雑な料金体系」の通信契約など、世の中には至る所に罠(怪しいもの)があることで、基本的に初めて見るものや人、情報に対して人はまずは疑いの目を持って接します。
騙されないように警戒して、簡単には信用しないようにしているのです。(実際に学生時代、一般のおうちにインターホンを鳴らして飛び込み営業していた際、30軒中25軒は玄関を開けてはくれませんでした。)
実際にAmazonや楽天市場などインターネット通販で何か購入するときも、その商品の宣伝内容よりも口コミの数や中身を吟味することの方が多いと思います。商品を売っている本人達が言っている(宣伝している)ことは嘘の可能性がある、でも第三者の人が言っている口コミであれば透明性もあり信用でき得ると思うからです。
一方、企業側はこの口コミに対して必要以上に怯えています。私も昼間はホテルの支配人をしておりますが、クレームや口コミについ過剰に反応してしまいます。
ただ、先程の話の裏を返せば、こうした口コミに対して嘘なく誠実に回答、対応し続けていけば企業は信用され得るということでもあります。また最終的には口コミで紹介される前に、自分達の事(サービスや商品、会社のこと等)を良い部分も苦手な部分も透明性を持って(半分自虐的にでも)出していくことは、顧客との信用という関係を持つ上で非常に重要なことだという事です。
企業によっては、自社のサービスや商品に関してのインターネットでの書き込みを検索して、事前にその苦情者に対してコンタクトを取り適切な対応(消火活動)することもあります。
更に中長期的な信用を得る方法として、「CSR活動」があります。CSRとは「Corporate Social Responsibility」の略語で、企業の社会的責任と日本語に訳せます。活動の内容としては、植林などの環境保護や文化支援、人権保護、女性地位向上などの一見企業の利益には関係ない慈善活動に見える内容です。
資本主義において、個別の利益を追い求める行動が企業や個人の本来の姿にも思えますが、実は個人や企業が一人だけ独占したり、美味しい思いをしようとすると、結果的に社会全体として成長が鈍化もしくは全体として多くの利益を享受できないという「共有地の悲劇」が生まれることがあります。
共有地の悲劇とは何か、上手く説明した話を下記に紹介します。
中世イングランドでは、教区に共有地があり、教区民は決まった数の牛や羊をそこで放牧していいことになっていました。家畜の数を少なく抑えておけば、ちょうどいい具合に新しい草が生えてきて牧草の状態が良い状態で保たれます。農夫がみんな規則に従っている内は、うまく回っていました。しかし、一部の農夫が自分の財政状態を良くしたいという欲求に駆られて、その共有地で放牧できる数以上に家畜を殖やしてしまいました。すると短期的にはその個人の農夫は上手く行きましたが、牛や羊が増えるに従って、全ての家畜にいきわたる牧草が少なくなり、共有地の家畜はみな栄養不足となり、生産性も下がり、その一部の貪欲な農夫も含めてすべての農夫が損をすることになったというお話です。
自分達だけでなく、社会全体を考えた継続的な成長の在り方を意識した行動が「信用」はたまた「ブランド」に繋がっていくのかもしれません。更に言えば、それは企業だけのことではなく、個人にも当てはまります。(オレが!オレが!をやっていれば、そのうち誰も周りにいなくなってしまいます。)
究極形である「Want Give(与えたい)」の精神で行動できるかどうかは、このことを十分に理解しているかどうかと言えるでしょう。(Want Give(与えたい) > Must Give(与えなければいけない) > Give and Take(ギブアンドテイク) > Only Take(欲しい欲しい))