我欲との闘い

コピーライティングから始まる記事から「人を動かす」まで一貫して、自我から離れて相手を主語にして考えるメタ思考的な内容の重要性について書いてきました。

ちょうどそんなタイミングで、興味を引く記事を見つけました。
「オレがオレが」が道を狂わせる。
京セラ名誉会長の稲盛和夫氏が2007年5月に東京証券取引所で登壇した時の講演の内容が書いてありました。

「一時期、成功を収めたのに、晩節を汚す経営者が多いのはなぜか、我欲に負けてしまえば、社員の心は一斉に社長から離れていく。」

カルロス・ゴーン元会長も日産自動車において、V字回復の立役者として素晴らしい結果を出したのに、その後、役員報酬や私的経費利用の件で逮捕までされてしまっている。

稲盛和夫氏も、創業から10年が経ち、京セラも数十億円の利益が出るようになり、当時社長の年俸が300万円に過ぎなかった際に、「すべては私が持っていた技術、寝るのも惜しんで一生懸命に頑張り、数十億の利益を会社にもたらした。月給を1,000万円もらってもバチは当たらないのではないか」と思っていたそうですが、そこで踏み止まり、実際にはそうしなかったそうです。

また京セラが上場時に、稲盛氏はキャピタルゲインを個人で得ることはしなかったそうです。稲盛氏が当時を振り返って曰く、「いつ会社が潰れるかもしれないと不安で不安で必死に頑張ってきた私に、考えてみたこともないお金が入ってくる。人間、そちらのほうに心が向かないはずがありません。けれど、どうもおかしい、これは悪魔のささやきではなかろうかと思いました。」

一方で、現在のベンチャー企業の創業者は、「ベンチャー立上→上場→キャピタルゲインを個人で何十億円と取得」を夢見て頑張っている事が多いです。(勿論そうでない方もいますが。)何なら、個人にお金が入ってこれば、立ち上げた会社がどうなろうとそれほど興味がないという創業者もいるくらいです。

ここで知りたいのは、誰もが狂ってしまう「お金の魔力」に引っ張られずに、稲盛氏がどうして当時そうした判断を出来たかです。

そこには、「哲学」がありました。
哲学者、井筒俊彦氏の言葉から稲盛氏が影響を受けた内容が、

「(瞑想をすると)自分がただ存在しているとしか言いようのないもので成り立っていると感じる。同時に、周囲にある森羅万象すべても存在としか言いようのないもので出来上がっていると感じられる意識状態になる。人は花がここに存在すると表現するが、存在というものが花をしていると表現してもおかしくないのではないか。」

でした。

このベースの考え方から、役員報酬の件、上場時のキャピタルゲインの件で立ち止まったそうです。

「私は一生懸命に頑張って会社を立派にし、数十億円の利益が出るようになった。その時、これはオレがやったんだ、オレの才能で、オレの技術で、オレが寝食を忘れて頑張ってきたのに、そのオレの給料が300万円しかないとは、割が合わんではないか、オレが、オレがと思った。(しかし上記の哲学を受けて、考えが変わり)半導体が勃興していくには、ある人間が必要だった。たまたまそれが稲盛和夫であっただけで、他の存在が稲盛和夫と同じ才能を持っていれば、その人が代行していてもよかったはずだ。たまたま私であっただけなのです。今日は主役を演じているけれど、明日の劇では別の人が主役を演じてもよい。にもかかわらずオレがオレがと言っている。それこそが自分のエゴが増大していく元になるように思うのです。自分の才能は、世のため人のため、社会のために使えといって、たまたま天が私という存在に与えたのです。その才能を自分のために使ったのでは、バチが当たります。エゴを増大させていっては身の破滅だと思った私は、それからエゴと闘う人生を歩いてきました。」

経営においても、人生においても、最終的には「心のありよう」が途轍もない影響を与えるのだと、ヒリつきました。

「オレが、オレが」という気持ちを抑えることが、「マーケティング」、「マネジメント」に効くだけでなく、究極的に目指すべき世界を構築することになるかもしれません。

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