本来の「不惑」

自身も今年40歳の年となり、「40にして惑わず」俗に「不惑」と言われる孔子の論語ですが、よくよく調べてみると本来は「不惑」ではなかった説があります。

孔子が話した時とその弟子達が論語としてテキストにまとめた時の時間差は数百年ほどあるようで、文字起こしでズレが生じているようです。実際に孔子がいた時の文字と伝えた時代の文字は異なり、「惑」は「或」だったのではと言われています。

なので、孔子が本来伝えたかったのは「不或」つまり「40にして区切らず」だったようです。

40歳くらいになると、人は自分を区切りたがり、「自分はこんな人間だから」と限定しがちです。それを意識して自分の制限を外し、むしろ「今から色々なことをやっていく」と決めていったら良いのではと提案していたとの事です。

なので、40歳になったから人生の方向性も定まり、惑わずに生きていくべしという事ではなく、寧ろまだまだ新しい事や知らない事など、自身の壁を越えて経験していくべしという事のようです。

そう考えると、今体験している育児なども完全に新しい領域ですし、仕事などの範囲ももう少し幅を拡げて考えてみたいとも最近考えることはあながち間違いではなかったのかもと思えました。

経営の捉え方自体も20代、30代、40代となり、大きく変わってきました。

20代の時はとにかく大きいことを為して目立ちたいという想いが強く、30代の時は法人としての収益(利益)や個人としての収入が増える事が良い事と思ってきました。

30代後半になってから、「自利利他」について考える事が多くなってきました。自利利他とは、大乗仏教の用語で「自らの(仏道)修行に得た功徳(良い行い、ご利益)を自分が受け取ると共に、他の為にも仏法の利益をはかる」という意味です。

正直、まだ自利の方が強く、利他について出来ている事は全然ないのですが、自身の範囲が「自分」⇒「自分と家族」⇒「自分と家族とその親族」⇒「自分と家族とその親族と会社の主要メンバー」⇒「自分と家族とその親族と会社の主要メンバーと従業員」⇒「自分と家族とその親族と会社の主要メンバーと従業員と大事な取引先の方」と拡がっていくにつれて、「自分」だけで利益を享受しているよりも実は幸福度が高いのではと気づくようになったのです。

例えば、お金の使い方なども「自分」だけの為だけに使うと、直ぐに楽しさの効果が切れてしまうものの、家族も含めて使っていくと、楽しさの効果が繰り返され、持続します。

この時、重要なのは「自分」も「他」も同時に楽しさを享受できる事ではないかと思います。

「利他」というと、自身を犠牲にして他人の為にといったニュアンスが強く感じられますが、自身も楽しい上で他の人も楽しいを出来る事が大事だと思います。

京セラの稲盛和夫さんも「自利利他」を推奨しています。更に、稲盛さんは経営者は「損得」よりも「善悪」の基準で判断すべきと言われています。(これは自分にはまだまだなかなか出来ないですが。。)

本来の「不惑(不或)」を基に、今年から10年は自身の区切りを少しずつ拡げていく期間にしたいと思います。

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