ホテルの朝食リニューアルもようやく一通り完成し、HPで新しくなった朝食内容を公開しました。
https://excel-inn.com/breakfast/
HoteKan設備もバージョンアップしたHoteKan2.0が開発完了し、実際に運用が開始されました。「考える」→「つくる」→「発信する」をコンパクトに回転し続けることが、少しずつ出来てきました。
そんな中、ようやく少し時間が空いたこともあり、昨日の夜、機会があって今人気の神田松之丞さんの講談を聞きに行くことがありました。
演目としては、「1.那須与一の扇の的」「2.淀五郎」「3.赤穂浪士の雪の別れ」だったのですが、歴史ものにも関わらず全ての演目が目の前で映像が見えるが如く臨場感を伴って観る事ができました。
極限の世界と継続
その中でも特に2つ目の「淀五郎」という古典落語の演目は圧巻でした。
お話は忠臣蔵を演じる若手役者が本物の世界で苦悩するシンプルな内容です。
簡単に説明すると、若手役者が急に大役に大抜擢され、自分もやっと認められたと喜んでいたものの、実際の舞台では本人が何もできてないことすらも分からないまま、お客さんにも他の役者にもめちゃくちゃがっかりされ、本人もようやく自分が足りない事に気づき、役者としてはもう死んだ方がマシだとまで追い込まれた後、師匠の「死なないでもいい。人は生き恥をかいた分だけ、ようやく少しだけ成長できる」というアドバイスで演技がグッと変わっていくというシナリオです。
ただ、凄いのはその内容よりも「構造」です。
なぜなら、この演目を演じる演者自体がちゃんと本物を演じることが出来なければ、そもそもこの演目自体が成り立たないからです。(演技がグッと変わりましたと口ではなく本当に演じなければいけないのです。)
この極限の自己追い込み感(自分を冷静に見ながら、本当にこれをお客さんに出してよいものなのかを只管問いただしている姿)を生身の身体の表現にて観る事ができたのは、衝撃でした。
ただ、それ自体も「100点でなくても表現することが重要である」という演目自体のテーマももう一つの側面として感じられ、深く考えさせられます。
どの世界も「これで十分」という事はありません。ただ、だからと言って「発信」をしないと、いつまで経っても100点を目指そうとして「考える」→「つくる」→「考える」→「つくる」のエンドレスループとなり、まさに「生き恥をかく」ことも出来ません。
今の全力で持ってまずはアウトプットし、めちゃくちゃダメ出しを食らった後、凹みまくって、更に考えてつくって、またアウトプットし続ける事が大事なんだなと衝撃の講談から学ぶことが出来ました。