15年前に自身が鬱になった際、「健全なる肉体は健全なる精神の上に成り立つ」と感じました。
古代ローマの詩人ユウェナリスの「健全な精神は健全な肉体に宿る」という文言に対して当時、強烈な違和感を持ったものです。(これは本来の意味としては、当時戦争などが多く、健全な肉体に健全な精神が宿ったならば良いのにという願望で言われていたようです。なので、一般に伝わっている、身体が元気であれば精神も問題ないという意味ではなかったようですが。)
ただ、ここ最近、「精神」という曖昧なものをコントロールするよりも「肉体」という分かりやすいものをコントロールする方が、結果的に「精神」を安定化させやすいのではないかと思うようになりました。
実際に、15年前に鬱から脱した際も永平寺と大乗寺というお寺で座禅修行をした後、少しずつ回復しました。その後も週末サーフィンに行くようになり、より精神が安定しました。
つまり、回復のキッカケとなったのは「肉体」であり、「行動」だったのです。
頭を使うよりも身体を使うことで、夜も寝られるようになり、結果的に頭も働くようになりました。この2年半、コロナ禍が来て、ロシアの戦争、物価の上昇、ホテルの経営は厳しくなり、更に育児が3人に、ストレスも高い状態だったのは間違いありません。
ただ、その際に鬱を経験したお陰か、「精神力で乗り切ろう」とは絶対に思いませんでした。
これをやっていたら、早々に病んでしまっているか、何かを辞めている可能性が高いです。
とにかく淡々とランニングをして、たまにサウナに行き、汗をかき、景色の良い所に遊びに行き、21時過ぎには寝る。これだけで頭は働きますし、悪い状態の時にバタバタすることなく、基本に立ち返って出来る事だけに集中できます。
日本人の得意な「精神論」や「根性論」は時に人を逃げられない場所に追い込んでしまいます。
精神論や根性論を使う時は、超短期の期限つきでしか使わない方が良いです。
日経ビジネスでたまたま「お父さんが眠れないのは、心の問題ではない」の記事を見て、自身の経験を色々思い出しました。こうした精神科医の方が世の中に多くいれば、今後の日本も生きやすいのになと思います。