5年前の5月、ホテルを継ぐことになり、人材、業務プロセス、関連業者、資本政策などをこれまでのものから一新しようとしました。その際に一番悩んだのは、「自分のやり方」が上手く機能しないことでした。
「自分のやり方」というのが、これまでのコンサルティングファームでの経験やベンチャー企業での事業構築の方法をベースとしていて、現状の把握を行い、将来なりたい姿を描いた後、そこに向かって必要となる要素を因数分解(構造化)を行い、足りていない部分を一つずつTo do化して実施していくやり方でした。
言葉にすると、とても合理的で理に適った方法に思えます。しかし、実際は思ったよりも機能しないのです。
現状の課題点や問題点を指摘しながら、改善方法を説明して実施を促す、その度に反発や抵抗を受けて、進めたい方向に組織が進んでいきません。
問題は、「現状の課題点や問題点を指摘しながら」にあったのです。
ハーバード大学のジェイムス・ロビンソン教授の「精神の発達過程」の一節に下記があります。
「我々は、あまり大した抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合がよくある。ところが、人から誤りを指摘されると、腹を立てて、意地を張る。我々は実にいい加減な動機から、いろいろな信念を持つようになる。だが、その信念を誰かが変えさせようとすると、我々は、がむしゃらに反対する。この場合、我々が重視しているのは、明らかに、信念そのものではなく、危機に瀕した自尊心なのである。「私の」という何でもない言葉が、実は人の世の中では、一番大切な言葉である。この言葉を正しくとらえることが、思慮分別のはじまりだ。「私の」食事、「私の」犬、「私の」家、「私の」父、「私の」国、「私の」神様、下に何がつこうとも、これらの「私の」という言葉には同じ強さの意味がこもっている。我々は、自分のものとなれば、時計であろうと、自動車であろうと、あるいはまた天文、地理、歴史、医学その他の知識であろうと、とにかくそれがけなされれば、等しく腹を立てる。我々は、真実と思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。その信念を揺るがすようなものが現れれば、憤慨する。そして、何とか口実を見つけ出して、もとの信念にしがみつこうとする。結局、我々のいわゆる論議は、たいていの場合、自分の信念に固執する為の論拠を見出す努力に終始することになる」
つまり、人に誤りを指摘されたものに対して、素直に受け入れるというのは人間の自尊心とそれを防衛する本能上難しいということです。ではどうすれば良いのか。「指摘ではなく、誘導」すれば良かったのです。
コンサルティング時代では、問題点や課題を抽出して、改善施策を提案すればOKでしたが、実際の事業運営では、×です。「自分達で問題点や課題に気づき、改善策を採用した。」となるように、上手く誘導する必要があります。誘導の方法は色々あるかと思います。例えば、
1.直接的に問題や誤りを指摘することなく、また押し付けることなく、質疑応答を繰り返し、誘導する
2.(相手が権威に弱いタイプであれば)権威のある第三者が言っている、やっているように上手く見せる
3.「確かに」や「でも」という言葉を使わずに相手と話し、相手が間違っていても否定せずに控え目に意見を伝える
ただし、実際は自分も出来ない場合が多いです。つい、自分の正しいと思っている異見を相手の話を遮って言いたくなってしまいます。
事業運営においても、またコミュニケーションにおいても、議論で勝つ意味や利点は全くありません。議論で勝って良い事など、弁論部の大会でトロフィーを貰えることくらいでしょうか。
これまでがとんでもなく杜撰な経営で、事業承継を受けて一から経営刷新する場合、はたまた、お客様から全くいわれのない内容でクレームを受けた場合においても、初めに相手の誤りを指摘し正しい事を伝えれば、相手の自尊心が傷つき防衛本能が発動し猛反発されるということは、しっかりと理解しておこうと思います。