以前の記事に「人の判断は概してポンコツ?」という内容を書きましたが、自分も含めて日常の選択や判断において合理的に出来ていることは案外少ない気がします。
それにも関わらず、大企業や政府の戦略策定においては合理的なフレームワークが用いられます。私がコンサルティングファームにいた際も、市場性や実現可能性など各事業項目を因数分解し、合理的な定量化を行い、グラフやプロット図を描き、競合や市場と比較して優位性を保つオプションを選定していました。
ただ、そうした論理構造やその論理を立証するエビデンス(データや定性情報)をどれだけ緻密に組み立てていても、実際のビジネスや市場の動きとは異なるものではないかと常々違和感を感じていました。(その結果、実ビジネスをやるきっかけになりました。)
実際、自分がユーザになった時、商品やサービスの選択も合理的な金額計算をして判断していないことが多いのです。例えば、「1,000円のAmazonギフト券が無料で貰えるキャンペーン」か、「Amazonで300円の買い物したら2,000円のギフト券がもらえるキャンペーン」かどちらかしか選べない場合、自分は1,000円のギフト券を無料で貰えるキャンペーンを選んでしまいます。300円の方が1,700円も得をするのにも関わらずです。
「無料」という言葉で合理的な判断は簡単に吹っ飛んでしまいます。他にもユニクロなどで「3足で1足無料」という文言を見ると、店に来る前は1足だけ買う予定だったのに、無駄に3足買ったりしてしまいます。
また、他に比較する商品やサービスが無い場合は、原価などから考えて価格が決まっているのではなく、世の中に一番初めに出された価格が人々の基準となって決まっていくのです。
極端に言えば、吉野家の牛丼が初めに1,000円で出されていれば今も1,000円を維持しているでしょうし、松屋もすき家も1,000円で出していると思います。一度280円という値段で出してしまった為、人々の基準として牛丼と言えば300円くらいでしょとベース軸が決まってしまい、もし牛丼が並盛500円になりましたと言われれば、非常に高い印象を持ってしまいます。(500円も普通の飲食店と比べれば十分安いのですが。)
ただ、吉野家が380円で、松屋が320円で、すき家は350円という、横並びでの比較は人は細かく非常に合理的に行えるのです。一度、価格が与えられてしまえば人は合理的に考え、判断することが出来るのです。(逆に一度基準が決まってしまうと、そこをベースに合理的に判断してしまうようになってしまいます。)
他にも合理的に判断していない分かりやすい事例が行列のできる店です。待っている人が一人でも先にいれば「人が並んでいる程だから、この店は良い店に違いない」と、初めに待った人の判断をベースとして次の人が行列に並び、更にそれを見た人が更に「二人も人が並んでいるのだから良い店に違いない」と順繰りに行列ができていきます。
人が他の人の判断基準をベースとして、特に自分なりの理由や合理性は持たずに思考停止状態で決断しているのです。ビジネス以外にも、自分の親の職業を見て、子供がその職業につくパターンが多いのもそれと同じです。(親が選んでいるのだから、間違いないのだろうという非合理的な判断です。)
人は「非合理的に選んだ選択」をしても、この選択は非常に合理的だったと後付けで根拠を並べ始めます。先の3足の靴下購入なども、どうせいつかは履くから買いに行く手間が省けて良かったとか、色々理由を付けて、安心を持たせます。(あの選択は間違っていたのではないかという考えが一番人間は不安になるからです。)
ただ、あまりにも「非合理的な選択」を日常的に繰り返していると、なんでもかんでも人のせいにしてしまったり、判断基準となるベースが狂ってしまったり、更にそのせいでとんでもない損失を被ってしまったりする可能性もあるので注意が必要です。
「今日何を食べよう」、「どの服を買おう・着よう」、「どこに住もう」、「家を買おうか借りようか」、など人は日常の生活の中で様々な選択を常にしています。そうした選択をたかが1回の選択と思って、適当に決めてしまうと、その決断自体がその後の基準となってその先何年も未来の決断に影響を与えてしまう可能性もあります。(引越をして住んでいる場所の地価が変わっても、前住んでいた家賃をベースに家を選ぶ人が殆どなのはその為です。)
特に初めてする決断(例えば、家を買う、結婚をする)に関しては、十分な注意を払って合理的な判断が出来るようにする方が良いと思います。自分も3回に1回はちゃんと考えるようにしています(笑)
ちなみに、、コンサルティングファームに入社した際に、先輩や上司に住んでいる家の場所となぜそこにしたかを執拗に聞かれました。当時はたいして意味も良く分からなかったですが、その人の判断基準を聞き出す上で最も効率的だったんだろうなと思い、気づいた時はぞっとしたのを覚えています。