入園

桜も既に散り、日中はだいぶ暖かくなってきました。

先週、1歳となった双子も今週から園に通い始め、当園時のギャン泣き期を迎えています。一人で送り迎えする場合は、まだ歩けない双子を抱えながらオムツや昼寝布団などの荷物を持ち、3歳の娘と一緒に行かなければいけませんので、なかなかカオスです(笑)

育児は心の修行と思うようになりました。

日々の事象のどの部分に目を向けて考えるか。フォーカスポイントを一眼レフカメラのように前や後ろに動かしながら、自身が観たいフォーカスも調整する。イライラ、モヤモヤする時は、改善策が詰まっている証拠。育児をしていく中で仕事に活かされる部分も多々ある気がしています。

「論語と算盤」をこの年にして急に読んでみたくなったのも、そんな転換がキッカケかもしれません。

育児を経験する前(30代半ばまで)は、「算盤」的に、シミュレーションをして数字を叩き、目標(KPI)を定量化してそれを達成することが経営において重要だと思っていましたし、その為であれば何をしても良いと思っていました。

ただ、その中で数字だけを追い求める余り、組織が何度も崩壊するのを経験しましたし、シミュレーション通りには上手くいかないことも多々ありました。

営業利益を上げることが経営として「善」だと思っていましたし、その為にはコストを出来る限りそぎ落とす事が重要と思っていました。

ただ、3人の子どもの育児を経験する中で、必要と思われるコストはそぎ落としてはダメだと気づきました。

現場の人と施設で成り立つ「ホテル」であれば、「人事」「設備」にはお金をかけなければいけません。一方で、バックヤードの「総務」に関しては、如何にDX化など生産性向上につながるコスト削減施策を打っていくべき。

そのお金をかけるべき場所の判断は、まさに「論語」に書かれている「人としての正しさ」が問われる所なのです。何にお金を使うかが、その人の価値観であり、その会社の経営理念に繋がります。

ゼロベースの子どもを見ながら、何を一緒にやっていくと良いか、教育だけでなく、通常の日常を過ごす中でそれが常に問われることで、経営においても何を会社の存在価値として求めるか自身に問うことが増えました。

結局、経営理念は作らなければいけないから作るものではなく、その人自体がどういう生き方をするとハッピーかを会社という実体に当ててみて考えるものだと思いました。

これまで「算盤」でしかモノを考えられなかった自分には全然意味が分からなかった「寄付」というものを最近しました。

見返りや利益を貰うだけでは結果的にあまりハッピーではないのかもと思うようになったのです。

最近、ランニングが山のトレランに少しずつ変わり、すれ違う人との挨拶をしながら、楽しく登っています。

初めは、挨拶をしても何も返してくれなかった人に対してモヤモヤする事もありましたが、最近は大して何も思わなくなってきました。

挨拶してもらって嬉しいは勿論ありますが、自分から挨拶出来る方が自分的に嬉しいという感じに変わったのです。

相手をコントロールできずにイライラするより、自分自身を上手くコントロールできる方が楽しいと感じるようになりました。

ただ、重要なことは「Giveが大事です」と言いたいわけではないのです。そこには、明らかに隠れた「Take」を目的としている感があります。

自身が「楽しい」と思えるコントロールが出来ればいいような気がします。

一緒に働く人がイライラしたり、お客さんが文句を言っていたりする環境では自分自身が「楽しい」とはなれないので、そうならないようにすると結果的に「Give」になっている感じかなと思います。

3人の育児と新しく始まる登園・帰園も、「楽しい」だけではなく「しんどい」も勿論ありますが、こうしたことに気付ける育児も悪くはないなと思う日々です。

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