先延ばしの誘惑と同じように生じる「あるある」として、「選択肢を残し続けること」があります。
例えば、子供のお稽古事として「プール」「習字」といったベーシックなものだけでなく、「テニス」「プログラミング」「英会話」などなどお母さんが必死になって様々な所に送り迎えしている家族です。それは子供の選択肢をあれもこれも残せるしているからと思います。しかし、一方で子供と家族の過ごせる時間は大幅に減る事になり(コストもかかり)、お稽古事もどれも中途半端なものになってしまう事も多いです。
ただ、問題はこうした子供の多すぎるお稽古事だけではなく、殆どの人が人生においてこのような選択肢を残し続ける傾向があります。
「本気を出せば、自分は何でも出来るはずだから、今は何が向いているか色々と選択肢を探してみたい。」
私も大学時代はこんなことを考えていました。当時は、「モラトリアム」とかと言って無為な時間を過ごしていました。その後、コンサルティング会社に就職を決めた時も、ある特定の業種や会社を選択することができず、とりあえず様々な選択肢が取れ得るからという理由で決めたことを覚えています。
人生の分岐の扉が無数にあると考え、ついつい、その扉の入り口であっちもいいな、こっちもいいなとやってしまうのです。ただ、それをし続けていると、結局何もできないまま(何もアウトプットしていないまま)、選択肢を見ているだけになってしまいます。(実際に自分もそうなりました。起業した際に初めて自分が何もできない事に気づかされました。)
有名な話に、下記の「ピュリダンのロバ」の話があります。
ある日、お腹を空かしたロバが干し草を探して歩いていると、二手に分かれた先に同じ大きさの干し草の山が一つずつあるのを発見した。ロバはその分岐点でどちらを選ぼうかと途方にくれた。何時間たってもまだ決心がつかない。そのうち、どうしても決められないまま、ロバは飢え死にしてしまった。
人が選択肢を残し続けたくなる気持ちは、選択してしまった際に他の選択肢を「失う」というマイナスの感情が、選択することによって「得られるもの」よりも勝ってしまうから生じます。以前の「合理的な判断が出来る時、出来ない時」にも書いたように、300円を失って2,000円を得るよりも、失うものがなく1,000円を得る方を人は選んでしまうのです。
この不合理の行動をしないようにするには、「選択して選択肢を失うマイナス」よりも「選択せずに得られないマイナス」の方が大きいことを具体的な事象として経験・理解して、まずは一点集中してアウトプットを積み重ねることが重要だと思います。選択肢を残し続けることの実質的なマイナスと「今(やっている事)」に集中できないことによる精神的なストレスが大きい事に気づくべきなのです。(自戒を込めて)
例えば、デジタルカメラを2機種の内どちらを買うかで何ヵ月も色々検証して悩むよりも、その何ヵ月の間に家族や友人の貴重な写真を撮り損なったマイナスの方が大きかったといった、具体的な実例を色々なパターンで経験していると、その他の人生の選択肢問題(仕事を何を選ぶか等)においても比較的最適な選択を取れるような気がします。